京都 御朱印 粟田神社編
粟田神社は車では不可能🚗でした😢
7台分の駐車場があるという情報でしたが…
今は月極めになってた😱
しかも、奥まった場所にあります😭
行き止まりとか…
近くに駐車場もなくて、お母さんを車に残して、ダッシュ💨💨
しかし!坂があってきつい💦
なので、ゆっくりできず…
とりあえず坂の下で撮影
提灯がなかなかいい感じ
その下には…
いた!イケメン(笑)
では、一期一振
粟田口派の刀工吉光が作りました。
鎌倉時代の中期の刀工です
一期一振は大阪城が落城したときに焼けたそうです。
そのあと、焼失した多くの名物刀剣を焼き直ししていたそうです✨
焼けてもなくならないんですね😁
すぐに戦の戦利品として徳川家康に渡りますが、名古屋城に預けたままになり、尾張徳川家の御物になっていたそうです。
名古屋城もゆかりの地かぁ✨
名古屋もイベントしないかしら(笑)
でっ、結局尾張家が朝廷に献上したんで御物扱い💦
あげなければ、徳川美術館にあったかもな…
「一期一振と名付けし故は粟田口藤四郎吉光の作、短刀又は薙刀のみにして太刀の世に存したる物これより外にはなし、故に一代一刀と云ふ心にて一期一振と後人の名けしなり」とのこと。
だから、お兄ちゃんと呼ばれてる(笑)
そして、弟たちは…
多いな(笑)
秋田藤四郎は秋田氏が持ち主らしい💓単純なネーミング😅
ちなみに、重要文化財らしいです
短刀で御物は…
平野藤四郎!
名前の由来は平野氏が所有していたらしい(笑)単純なネーミングパート2
でも、この平野さんは坂上田村麻呂の子孫を称し、その子広野の領地であったために付近を広野といったが、のち平野庄に改められた。子孫は平野殿と呼ばれ、江戸期まで栄えた。現在の大阪市平野区らしいです
かなり、余談(笑)
でっ、平野氏→木村氏→秀吉→前田利長→徳川秀忠→前田利常→朝廷
国宝は…
厚藤四郎
由来は厚いから(笑)
鎧通し造と言われていたぐらい、長さが短いわりに重ねが厚いらしい。
だから、ゲームでも強いのね(笑)
今は東京国立博物館にあるそうです
後藤藤四郎も国宝
名前の由来は単純なネーミング(笑)
今は徳川美術館にあるそうです✨
地元😚
ちょっと疲れてきました(笑)
調べるの💧
名刀幻想辞典を参考にしました💓
詳しかった✨
私のブログはネットからの検索なんでよろしくお願いします❤️
御朱印はこれが通常バージョン
限定バージョン
とりあえず、粟田神社の粟田口派
終了😚
パート②は三日月🌙(笑)
調べるぞ!